権威を失ったものをたたき続けてどうするのか

あっというまに11月も終わりを迎えて、明後日からはもう師走。

年末といえば、かつて「~(歌手名)が紅白の出演依頼を拒否」という内容のニュースが大きくとり上げられ盛り上がった時期がありました。今は、あまりそういうことは大きな話題にはなりません。あえてそれをアピールする芸能人もいなくなったように思います。

かつて、紅白歌合戦が「視聴者みんながみる」「歌手なら誰もが出たい」という存在だったからこそ、それに「反抗してみせる」ことに価値があった、カッコよかったのです。それによって励まされる人が沢山いました。

さて、教育・学校・先生・勉強。これらはとうに権威を失いました。現在は皆でよってたかってボコボコにされている状態。にも関わらず、まだこれらへの「反抗」を得意げに示すタレント(またはそれに準ずる有名人)が全然減らないように見える。これは相当カッコ悪い行為だと、僕には思えるのだけど。現状でもまだ叩かれ足りない、落ち足りないということなのだろうか。

故・忌野清志郎さんだったらあるいはボチボチ「勉強しようぜ~」と言ってくれたかもしれない。ダメかな。

いい学校にいって、いい会社にはいっても、それで幸せになれる訳じゃない、なんて話は今更でも、自分で必要だと思うことを学んだり・考えたりするために必要な「素材」はやっぱり勉強して身につけておかないといけないもの。「叩き」が一般化しすぎると、広い意味での「勉強」「学ぶこと」全般を否定する雰囲気がうまれてしまう。

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