勉強が嫌いな子へのメッセージ(勉強は僕らの「獲物」)

こんにちは、まなゲーらんど管理者の池田です。

もし君が、勉強が苦手だったり、やらなきゃいけないものと感じていたら、

僕の話を聞いてほしい。

勉強なんてエラいものでもコワいものでもない
とっつかまえて、料理して、
ペロリとたいらげて、君のパワーにしていくものなんだ。

手ごわいヤツもいるかもしれない。
反撃されてやっつけられることもあるだろう。

でも、たとえどんなに強くたって、
ヤツらは「獲物」で、僕たちが「ハンター」なんだ。

これさえ勘違いしなければ、大丈夫!

僕らは成長できる。ヤツらはそのままだ。
やめなければいずれ必ず「勝ち」がやってくる。
とっつかまえて、喰ってやるんだ。

そしたら、次はもっとデカい獲物を狙えるようになる。

そのうち、いつか平らげたい「超大物」の姿が見えてくる。

もしも負けそうになったら思い出してほしい。

ヤツらは「獲物」なんだぜ。

 

タブレットと学習ゲームを活用した学習意欲解放への取り組み(2)

取り組みレポート:啓発小学校(2)

株式会社まなゲーは、学校や先生と連携して、タブレットPCと学習ゲームを活用した児童の学習意欲解放の為の取り組みを行っています。今回は大阪市立啓発小学校との第2回目の様子をレポートします。

第1回目の模様はこちら

第2回レポート

今回は担任の山平先生に主導していただき、池田はサポート要員にまわりました。

第2回目の今日は、タブレットの出番はありません。 しかし、一連の授業にとってとても重要な回。ダン・ドリに登場させるモンスターたちのデザインを通じて、「自分と勉強」を見つめてもらいます。

まずは、グループに分かれて、勉強について「好き⇔嫌い」「大事⇔大事じゃない」を軸に、意見や理由について考えを出し合います。

グループで話し合い

全てのグループで「嫌いだけど、大事」という意見が多くなりました。理由は様々。それらをホワイトボードにまとめて、黒板に張り出し、グループの代表者が各班で話し合った内容について発表します。

発表

池田が注目したのはコレ。

IMGP1363

矢印は「テンションさがる」と読むらしいですが、 ある単語を聞いただけで気分が下向きになるというのも考えてみればすごい話です。

ここまでだけでもかなり面白いです。

次は、グループを解散、個人に戻ってワークシートを使って、これから描くモンスターの「設定」を考えます。勉強に対する自分の気持ち、そういう気持ちになっている自分自身について考えながら「大きい⇔小さい」「強い⇔弱い」「怖い⇔やさしい」などの、キャラクターのステータスを設定していきます。あわせて「どうしてそういう設定にしたの?」という問いに対する答えも考えてもらいました。

設定1

イラストを描く前に、テキスト化やグラフ作成を行ったのは、いきなり絵を描き始めてしまうと、「好きなキャラクター」や「描きたいイメージ」にひっぱられ過ぎてしまう可能性が高まると考えたからでもあります。

ここで池田からちょっと補足を加えました。

「モンスターたちを『敵』として描いても良いし、『味方』として描いても良いよ」

味方として描きたい子も中にはいるだろうぐらいの気持ちで呼びかけましたが、後で予想外の結果となります。

もちろんモンスター達の名前も考えてもらいました。

設定2
※待ちきれず、キャラクターデザインをこっそり「内職」してしまう子も(笑)

みんなすごく真剣に考えています。「勉強」のことを!!

設定をまとめたら、いよいよイラスト作成にうつります。

描き方等に関する質問が殺到して、てんてこまいになりました。みんな真剣そのもの!!

IMGP1381

一発で描きあげる子もいれば、何度も何度も描き直して、あたらしい用紙が必要になる子も・・・

IMGP1383

それにしても、みんなとても個性的!おもしろいモンスター達が続々と生み出されました。

そして、予想に反して「味方」を描いた子が多かった!

敵として描いた子も「勉強」を敵として描くというより、勉強に対する自分の気持ちや、頑張れない自分の心などを描いた子が多かったのが印象的でした。

実をいうと、この取り組みにあたって、勉強を「モンスター」として子供たちに描かせることには、当初、多少の懸念がありました。子ども達に、怪物(=悪属性)のものとして「勉強」を描かせ、それを叩きのめすゲームを作ることで、両者の関係をよりおかしなものにしてしまうのではないかという懸念です。

でも、それは杞憂でした。

ひとつには、ポケモンやカード対戦ゲームに慣れた彼らにとって、そもそも「モンスター」は、不慣れな大人が想像するような奇怪・醜悪・邪悪な存在とは、異なるイメージのものだった、ということもあるでしょう。

けれど、それ以上に、子ども達が「勉強」の問題を、「自分の問題」として捉えていることのあらわれだったのだと思います。

これを見て、僕には二つの反省がありました。

ひとつは、上記のごとき懸念を持つに至った、僕の発想の貧困さ。失礼しました。

それから、子供たちが「勉強が嫌いな自分」「勉強をがんばれない自分」という自己イメージから日常的にダメージを受けているという事態についての認識がまだまだ甘かったこと。

授業をしに学校を訪れて、自分自身が学ぶことのなんと多いことか。

描きあがったイラストを回収して、今回は終了です。 「いつ見られる?」「今度はいつ?」「家でも遊べるようになる?」矢継ぎ早に質問を浴びながらの撤収となりました。

<第3回レポートへ続く>

本件に関するお問合せは下記まで、メールにてお願いいたします。
※お送り頂いたメールの送信元アドレス、送信者に関する情報はお問合せへの回答以外の目的で使用されることはありません。

infomail

伝わる!!

昨日伺ったクラスにダウン症の男の子が一人いて、とても興味を持ってくれているようで、僕にも休憩時間など寄ってきてくれるのですが、挨拶の後の言葉が続かない感じで、モジモジしてました。
でも、最後授業の終わった後に、ニコっと笑って、ハグしてくれました。僕はハグって照れちゃう方なんですが、素敵な笑顔にひきこまれる感じで、すうっと自然に抱き合うことができました。とても幸せな気持ちになりました。身体ってホントに強力なメディアだなぁ。大事なことを教えてもらったので、どこかで活かさなきゃ。

あくびの出ちゃう暗黒面

ええかげん、暗記とかドリルは「学び」から切り分けないとだめだ。
せめて用語を分けたい。話がややこしくってもう。
ヨーンフル(あくびがでちゃう)・ラーニング、あるいは、学びのダークサイド。
用語案、募集チューです。

追記:FBなどで色々案や意見をもらっているうちに、マイナス面をいつも前面にだす必要はなくて、とりあえずは、ラーニングとトレーニングで分ければいいのか、と思いました。トレーニングならもともと単調さとかしんどさも含んでるし、強調したいときだけ修飾すればいいのかと。

タブレットと学習ゲームを活用した学習意欲解放への取り組み(1)

取り組みレポート:啓発小学校(1)

株式会社まなゲーは、学校や先生と連携して、タブレットPCと学習ゲームを活用した児童の学習意欲解放の為の取り組みを行っています。今回は大阪市立啓発小学校との第1回目の取り組みの様子をレポートします。

タブレット

この取り組みの狙いは、学習ゲームを用いた活動を通じて、子どもたちに勉強について改めて考えてもらい、自分と勉強の関係を見つめなおす契機とし、彼ら彼女らの意欲や自信を解放していくことにあります。

それらの解放の結果のひとつとして、基礎学力の向上が見られるものと期待していますが、何よりも彼らの気持ちをサポートすることに重点を置いている点に特徴があります。

11月19日(火)

第1回目は池田が進行させていただきました。先生にごく簡単に池田を紹介してもらい。児童にはあまり事前に情報を与えずにスタート。

keihatu1-01

(池田俊明と申します)

「好きだったら拍手!」ゲームでアイスブレイク。画面に表示されるものが好きだったら拍手。「ラーメン」などの食べ物からはじまり、「マンガ」「アニメ」と来て、「ゲーム」で拍手が最大化。直後の「勉強」出現で見事なまでにピタリと拍手がとまりました。

ひとしきり笑いあって雰囲気がほぐれたところで話を始めます。

「僕の仕事では、一番人気のゲームと一番不人気の勉強、このふたつを扱っています。」

これだけ伝えた後は、自己紹介は後回しにしてさっそく質問にうつります。

「勉強とゲームはどこが違う?」

おもしろい⇔つまらない から、徐々に具体的なポイントに。程なく、画面の動きやサウンド、キャラクターなどゲームらしさを構成する要素が次々あがってくる。みんなスルドい!

keihatu1-04

ゲームでは何か操作をするたびに上記要素が組み合わさって反応がおこる。勉強にはこれらが全くない。というところまで進んだところで質問を変更。

「じゃあ、ゲームと勉強の似ているところは?」

頭を使う!ナイス。手を使う目を使う。うんうん。

「僕が注目してるのは『くりかえして強くなる』です」
「ゲームだって繰り返さないとうまくならない。しかも操作そのものはとっても単純。」
「だから、ゲームって実は『くりかえせる仕組み』の塊なんです。」

keihatu1-03

で「今、こんなのをつくってます」とモニターに現在制作中のダンドリ(ダンジョンズ&ドリルス)を見せる。画面説明をしているうちにも、子ども達がソワソワしはじめているのが伝わってきます。

keihatu1-05

「じゃあ、ちょっとみんなでやってみようか」
『よっしゃー!』

先生からグループ分けの指示とiPadの配布をしてもらいスタート。
啓発小学校では来年度から1人1台体制が整う予定だが、現在はクラスに10台。
5人グループに別れ、ひとり1分ずつ交代で3順ほど体験してもらいました。
どういう反応になるかとちょっと緊張しましたが、非常に良い感じで盛り上がりました。

keihatu1-06

子ども達の顔に集中した表情と笑顔が入れ替わり現れるさまが印象的。

授業開始時にちょっと斜に構えた感じだったり、やる気のない雰囲気をだしていた子どもほど、熱心にやっている傾向が面白く、実際、終了を告げられても一番最後まで粘っていたのは、はじめ小声で「おもんなそ」とか言っていた子だったとか。笑

各グループでゲットしたモンスターの数など発表して、再び僕の話へ。
(ダンドリではある程度成果をあげるごとに、出現したモンスターを捕獲できる仕組みになっています。)

keihatu1-07

「今更ですが自己紹介」

『え?』
『ホンマにいまさらやw』

こういう細かいところにもちゃんとリアクションがあるのが嬉しい。

出身や、小学校低学年の頃、先生に酷く扱われたこと、勉強に苦しんだこと、なぜか塾の先生になったこと、塾の仕事で勉強に押しつぶされる子供たちを沢山みたこと、彼らの「わからない」には応えられても「とりくめない・くりかえせない」を支援することがとても難しく無念だったこと。そこから今の仕事を始めるようになるいきさつなどをお話ししました。

そして最後、

keihatu1-08

「勉強ってなんだろう?」
「勉強ぎらいってどういうことだろう?」

A君(宿題にとりくめない小1)、B君(九九ができない小4)ふたりの事例をあげながら、彼らに対して、ゲーム的仕組みを用いて目先を変えてあげたところ、劇的な変化が起こったことを述べた上で、みんな自分のことを「勉強ぎらい」だと言うし、大人もみんなに対してよく「勉強ぎらい」とか「やる気がない」とかいっちゃうけれど、みんな本当に「勉強が」嫌いなのかな。「やる気のない子」なんて僕はみたことないんだけど、ホントにいるんかな?という話をしました。

keihatu1-09

結論は出さず。これから一緒に考えていこうね、ということで本日の授業は終了。

この最後の硬い話を、子ども達が非常に集中した表情で聞いてくれたことに(それを狙っていたのではあるけれど)とても驚きました。「自分ごとと」して聞いてくれたのだなと確信しました。

次回予告

「ダンジョンに出現するモンスターたちを、みんなにデザインしてもらいます!」
「39人全員分のオリジナルモンスターをダンジョンに出現させます」

おおー、っと盛り上がって休憩時間となりました。
第2回ではモンスターデザインを通して、自分のなかの「勉強」を見つめなおしてもらいます。

<第2回レポートへ続く>

本件に関するお問合せは下記まで、メールにてお願いいたします。
※お送り頂いたメールの送信元アドレス、送信者に関する情報はお問合せへの回答以外の目的で使用されることはありません。

infomail

見落とされている

先日の取り組みでの一幕。1クラス39人全員が勉強を「大事」「嫌い」にセグメントづけ。予想通りではあるけれど、重大な結果。
これってつまり、クラス全員が認知的不協和にさらされてるってこと。

子どもの自己評価が下がるわけだ。「大事じゃない」と思いこめる方がまだまし。
ここだけ見れば教室はシゴキの部室か、カルトの道場かという有様。
これが毎日毎日続いてるってことを、もっとちゃんと考えないといけない。

bboad

教育に革命を、起こす起こすというけれど

そもそも、革命ってのは被支配民が支配者を打倒して、自らが主権者となること。
なのだから、教育において「革命」ということばを使っていいのは、本来、
子ども達が自らを解放し、学びにおける主権者となろうとする場合だけなんだ。

内からの革命なんて言葉もあるくらいだし、大人がそれを助けて実現するのも「革命」にいれてもまぁいいだろう。
でも、とにかく子ども達が解放されて自らの主となるのでなければ「革命」の名に値しない。

だから、例えば、指導法が巧緻になる程度の小手先の変化を「革命」なんて安易に呼んではいけないってこと。
そしてもちろん、この文章は、「僕がやってるのは『革命』ですよ」というプロパ。笑

オフェンスとディフェンス

もちろん教育とは多様なもので、唯一どころか2つに分けることはできません。
でも敢えて分けてみると、教育にもディフェンスとオフェンスがある。

オフェンシブな教育とは、子ども達の「今ある」意欲、もっと言えば好奇心がさらに拡がりや深みを得られるような刺激を与えてやること。

ディフェンシブな教育とは、子ども達の意欲・好奇心が、失われてしまわぬよう、押さえ込まれてしまわぬように、守り育てていくこと。 

僕がやっているのは完全にディフェンスの方なのですが、どうも皆さんオフェンスが大好きなようで、こちらに興味を持つ人は多くないようです。

教室はやっぱり戦場だった

唐突ですが、教室ってやっぱり「戦場」なのです!
クラスメイトとの成績争い?受験戦争?ちがいます。
「子ども」と「勉強」との「立場」を巡る戦場です。現在の戦況は圧倒的に勉強優勢。

ウチの○○ちゃんは、勉強頑張ってるし成績もいいから大丈夫?ブブーです。
俺は勉強なんて大っきらいだし、しないから余裕?ブブブブーです。

勉強が出来ようが出来まいが、勉強してようがしてまいが、そんなことは決め手になりません。
問題はどちらがどちらを「支配」しているかなのですから。

どんなに勉強が出来ても、勉強に勉強させられているなら、その子は勉強の「下僕」です。
どんなに勉強ぎらいで、勉強から逃げてても、心のどこかに後ろめたい気持ちがあるなら、その子は勉強の「支配下」にあるのです。

勉強を支配し、自らの下僕として、使役する子は、自分の成長や目標の達成のために、勉強をコキ使います
やってきた勉強が役立たずだと気がついたら、もっと使える召使を探すか、使えるものに鍛えなおします。

お勉強さまの支配下で、ご機嫌を取るために勉強をしていると、お勉強様はその子をかわいがってくれますが、ご機嫌を取ることに失敗すると、あっさり捨てられてしまいます。また、運よく成功し続けても、ある日突然、その庇護下から放り出されることになります。恨み言を述べても「ご主人さま」の耳には届きません。

勉強から逃げている子は、ほとんど全ての場合、内心の後ろめたさを抱えているので、結局逃げ切れません。お勉強さまに逆らった罰として、レッテルやコンプレックスという刺青を罪人よろしく刻み込まれ、自尊心やら夢やら、色々奪われます。口では「関係ない」といっていても心はその支配下から逃れられません。彼らの人生は「お勉強様」がより権威化するための養分として供されるのです。

勉強の支配の及ばない世界で自らを確立し、その支配を振り切ることに成功した子は、勉強に大事なものを奪われず、異なる価値によってたつことができます。勉強の支配下にないのでレッテルを貼られても痛くも痒くもありません。ただし、勉強を使役することによって得られたかもしれない可能性は失われます。

勉強をコキ使う人生、勉強にコキ使われる人生、勉強に食われる人生、勉強と無縁に生きる人生、どれを子ども達に歩ませたいでしょう。
少なくとも2番目と3番目は避けたいところではないでしょうか。

大人がすべきことは、この戦いに子ども達が勝利できるように支援することです。
子ども達が勉強を支配し使役することこそが唯一の勝利であり、学力そのものはその結果の現れ方の一つに過ぎないのです。

とはいえ、勉強が出来ないより、出来た方が、この戦いが有利に進められることも事実です。

支配下におかれた勉強は、常に立場の逆転を目論みつつ、機会さえあれば、自らの主人に「実力」を示すことを要求してきます。これに成功すれば勉強を支配することはより容易になり、失敗するとより困難になります。失敗を繰り返しながら彼を支配下におき続けるには、それだけ強い精神力が要求されます。おや、なんだか「魔物」の話めいてきましたね。

失敗続きによる意気消沈、自信の喪失は、勉強にとって格好の餌となります。これを食べて力を蓄えた勉強は、満を持して、支配関係の逆転に挑むのです。

教室はやっぱり戦場だった。