ドラクエにおける、プレイヤーの「反復作業」と勇者の「経験」

knight

こんにちは、まなゲーらんど 池田です。

出張授業で子ども達と話すとき、ゲームと勉強の共通点としてあげるもののひとつに「繰り返しで強くなる(上手くなる)」というのがありますが、ゲーム内における反復って、一体何回ぐらい行われているもんなんでしょう、また、その反復における「キャラクターの成長体験」とはどのようなものなのか、あえて流さずにちゃんと考えてみるのも面白いかもしれないと思ってやってみました。

世代をまたいで話題として共有できそうなもの、ということで今回は「ドラゴンクエスト1」を取り上げます。
主人公が単独行動で、戦闘も1対1の遭遇戦ということで経験を量的に把握しやすそうというのもこれにした理由です。

ラスボスである竜王をある程度確実に倒せるレベルであるレベル20に達するために必要な経験値は29,000ポイント。
スライム・レベルから死神の騎士・レベルまで全てのモンスターとの戦闘から得られる経験値の平均が23.03ポイント。
本当は出現率やらも考慮すべきなんでしょうが、そこはざっくり割り算してしまうとレベル20到達に必要な推定戦闘回数は1260回となります。

常にある程度の苦労を要する(順調な成長に資する)レベル帯のモンスターとのサシの遭遇戦を闘い、撃破し続けること1260回・・・。これは量的にみてどういう経験なのでしょう。

現実世界における人物の経験と比較して見ます。
1、「剣豪」宮本武蔵:生涯に約60回の決闘を経験
2、「レッドバロン(世界史上最強の撃墜王)」リヒトホーフェン:撃墜数80機

うーん、こうして比較すると1260回の戦闘のヤバさ加減がよく分かりますね。
スライムに苦戦する所から、竜王を倒す勇者に成長するためには、剣豪宮本武蔵の20倍を超える実戦経験が必要だった
(武蔵は数十人と同時に戦ったりもしてますが、勇者の相手も明らかな怪物だったりしてますし・・・)と・・・。それに勝ち残ったとすれば、そりゃまぁ、勇者の人間離れした強さも納得できるというものです。

同時にモチベーション維持装置としてのゲームを見れば、それ自体は退屈極まる操作である「コマンド入力」を、これだけの回数に渡って、くりかしくりかえし実行することを可能にさせるだけの性能があったということになります。

当然ながらゲームはリアルな報酬も利益もプレイヤーに対して提供出来ませんから、内発的な動機付けに頼ってこの反復回数を実現している訳です。反復の中で繰り返し感じられる有能感・効力感。つねにごく近いところに具体的に見えている「具体的な成長像(なりたい自分)」等など、とても理にかなっています。これを「刺激でつっている」とだけ捉えて眼をそらしていると本質を見失います。

褒めてやる気をださせる。叱ってやる気をださせる。どちらも将来的な行き詰まりの約束された道です。
自家発電的に再生産される「俺スゲー!」だけが、持続的な努力を可能にします。
その流れに乗せる支援を行うべく、どうしたら「はがねのつるぎをゲットした自分」や「ベホイミをおぼえた自分」と同じように「繰り下がりの出来る自分」や「通分をマスターした自分」に憧れを感じさせられるか。ここのところをこそ真剣に考えるべきなのです。

地味ーな練習を繰り返し繰り返し行ったとして、1260回以内に習得できなさそうなこと、って・・・少なくとも「勉強」に関していえば、そんなに多くなさそうですよね?

2 Replies to “ドラクエにおける、プレイヤーの「反復作業」と勇者の「経験」”

  1. 池田さん、こんばんは。
    IzaKayaで何度かご一緒させてもらったsanoです。

    遅ればせながらブログ拝見いたしました。
    「ドラクエ」の反復に関する考察、興味深く拝読しました。

    私も学生時代に夢中になって何日も徹夜してクリアした口です。(Ⅰ〜Ⅴぐらい)
    その反復のモチベーションは「内発的自己肯定感」に最重点があると考察されていますね。

    もちろんそれもあると思いますが、私が感じるロールプレイングゲームに夢中にさせられる(させられた)最大の源泉は、
    「未知の結果に対する期待感」だと思っています。

    それは例えば面白い漫画や小説の「続きが読みたくて仕方ない」と同じ。
    RPGの場合、その結果をあたかも自分が作り出したように感じられることが、漫画や小説よりさらに優れた没入感を生み出すということもあるでしょう。

    ですから「通分をマスターした自分」に志向を向けさせることは重要ではありますが、それプラス劇的な「ドラマ」が必要な気がします。
    『俺が通分をマスターした結果、悪が滅び世界に平和が訪れた』みたいな(笑)
    それも取って付けた嘘くささを感じさせない手法で。
    難しいでしょうけど。

    長々とスミマセン。
    個人的に「なぜ子どもの頃はあんなにゲームに夢中になっていたのだろう」とよく考えていたので、つい書きたくなりました。

    この件についてもまたお話できるといいですね。

    まなゲー、がんばってください。

    1. sanoさん

      反応が遅くてすいません;;
      「この先」への期待感、確かにそのとおりですね。筋と終わりがあるものに対しては、それを追いたい、終わらせたいという欲求が働きますしね。
      シナリオがよく作りこまれていて、かつサクサク進める国産RPGなどではそれがメインの動機づけになるかもしれません。
      ドラクエでも3ぐらいからは、そういう傾向があったように思います。
      「俺ツエー」的なハマり方というのは、序盤と、さらにむしろシナリオを終えてエンディングを見た後に、延々と強化したくなるような、そういう場面で強く生じるのかもしれません。

      今回取り上げたドラクエ1ぐらいの頃は、まだイベントも少なく、やはりレベルアップ、武器・防具の購入、魔法の取得による強化を「目前の目標」として、時に、そこに到達するのに後何回ぐらい戦闘が必要かをざっと予想して絶望的な気分になったりしつつ、ひたすら拠点の周辺を右往左往していたという記憶があります。実は僕はドラクエ1を最後の最後で投げ出しているんです(笑)。ギリギリのレベルでイベントモンスターを倒しながらシナリオを進め、竜王の城の中を逃げ回りながらロト装備が揃った時点で、城内の雑魚にも勝てない、つまり、引き返して安全圏まで戻ってひたすら何百回も戦って数レベルをあげねばならない。しかもその間を埋めるスモールステップが何もない(であろう)、という状態に直面して心が折れてしまったというわけです。

      最近でもひたすら育成を楽しむゲームも多く、様々あるなかのどの要素をどのように配分してプレイヤーをひきつけ継続させていくかというところに制作上の方針だったり成果物である製品の特徴だったりが現れてくるのでしょうね。

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