「スターウォーズから」親が学ぶべきこと

それは「恐れ・不安」を原動力として子供に「力」を求めさせたり、行使させたりしてはいけないということです。学力でも同じ。

まさしくフォースの申し子として生まれ出でたアナキン・スカイウォーカーは、十分過ぎる素質と清い志を備えていましたが、ダース・シディアスの巧妙かつ遠大な罠の中で、次第にその「不安と恐れ」を膨らませ、ついにはそれに飲み込まれて、愛する人、ジェダイ評議会、その他もろもろを巻き込んで破滅に至ります。

この話を、師であり親代わり(アナキンは父親なしで生まれて、母親とも幼少期に離別。その後さらに死別。)であるジェダイ・マスター達、特にオビワンとヨーダ、ウィンドゥによる、極めて壮大な子育て失敗の物語として見てみましょう。

はっきりいって、マスター達(特に偉い方の二人)はアナキンの破滅に「加担」しています。

アナキンは、(主にマスター・ウィンドゥによって)どれほど力をつけても、実績をあげても、自分はついに認められない、受け入れられないという思いを繰り返し味合わされています。

そして、あまりに抽象的で果てしなく遠いと感じさせてしまう目標ばかりを提示する、マスター・ヨーダ。

こいつらは何しろアナキンのことをまるで見れていません。彼女が妊娠しちゃってることどころか、彼女がいるのにも気がつかない。いや、そこはこの際いいんですが、とにかく子供(弟子)の不安に無頓着どころか、逆に煽るばかりで全く支えてやる気が感じられない。「不安を感じておるな・・・心を強く持つのじゃ(俺みたいにな)」で助言したった顔されても困ってしまいます。必要な信頼関係の伴わぬところ、真理といえども虚しく響くのみです。

ジェダイ・マスター達が何をおもってアナキンを「育成」していたのか、それは定かではありませんが、アナキンの心が「ジェダイ評議会と関わると苦痛ばかりだ」と日々学習していたことは間違いありません。

認められない・受け入れられない不安が、とにかく結果を!結果をだせる力を!という気持ちを生じさせ「不安を払うために力を求める」という傾向をさらに強めてしまいます。
さらに、母親を救えなかった経験などから、大切なものを守るために力を求め、あげく、圧倒的な力を得なければ全てを失ってしまうという強迫観念をもつに至ります。

頼みのオビワンはというと、ケンカしつつも愛情をそそぎ、それをアナキンも感じていた様子がはっきりみられます。いい関係だったんですよ。しかし、一番大事な時に(使命=仕事のために)側にいません…。その事をこじらせてか、アナキンは最後になって「全部オビワンが悪い!」みたいな感じになってしまってます。「俺の人生がこんなになったのは全部お母さんのせいだ!」的な話で全く笑えません。

この間、一方のダース・シディアス先生は、ほぼ一人で銀河共和国を腐敗させたり戦争させたり、表の顔と裏の顔で両陣営の最高責任者を兼務するという、ありえないほどの激務をこなしながら、ちゃーんとアナキンの心の状態を把握していて、絶妙のタイミングで「不安」や「恐れ」に点火したり油を注いだり。愚痴話だって、しっかりきいてあげます。その上、アナキンがオビワンに切り捨て御免されるや、はるか銀河の彼方から彼の危機を感じ取って、とりあえず全部放り出して(多分)自ら救助に駆けつけます。最悪ですが、「見ている」という点では残念ながら完璧です。

一体なぜこんなことになってしまうのでしょう。
なぜジェダイ達は、あんなに偉そうで冷たくて、アナキンを救うどころか追い込んでしまうのか。

それは、ひとつには、ジェダイ達が「自分たちは正義」と思っていることに起因しているのだと思います。
自分が正しいことを言っていると思うと、人間、偉そうで、断定的で、冷たく、鈍感で相手の気持ちに配慮しないということになりがちです。教育に関わる人の多くが「勉強はするのが当然(しないのは子どもがわるい)」と(心のどこかで)思ってしまっているのもそのせいです。逆に、シスに限らず「悪」サイドはというと、自分たちの倫理的不利を知っていますから、その発言行動は慎重で懇切丁寧。自分の言葉をいかに相手に「届かせる」かということに常に心を砕いています。この差が、彼らの銀河全体の運命を大きく左右したというわけです。

遠い昔、はるか銀河の彼方で、
ウィンドゥがもうちょっとアナキンを認めてやっていれば、
ヨーダがフォースじゃなくて「耳」でもっとアナキンの話をきいてやっていたら、
オビワンがもっと…それはちょっと酷かなぁ。

さて、我々の銀河へ戻りましょう。

生き物は不安や恐怖があれば、何はさておき、まずそれから逃れるために行動します。もちろん人間も同じです。

不安によって「狙った行動」を引き出すことは可能ですが、それは終わらぬ不安の日々へと子供を追い込む行為です。まず安心・安全がなければいけないというのはそういうことです。「不安による(子どもの)管理」と「不安の管理」は厳に区別し、混同しないようにしなければなりません。

「不安による管理」は操作に長けていますから、親の望み通り、あるいはそれにちかい行動をとらせることが比較的容易でしょう。短期的には効果的・魅力的に感じるかもしれません。しかし子どもの基本姿勢は「逃げ」となります。よくて「防御」。極めて消極的になりやすいうえに、積極性を見せたとしたら、それは不安の強さの表れであるという悲しさです。

「不安の管理」は環境を整えることで、本来の意欲や興味を解放するものですから、解放された心がどこへ向かうかをコントロールすることは容易ではありません。無理かもしれません。しかし基本姿勢は「攻め」。積極性を旨とするものになります。

子どもは、その小さな社会の中で、日々あたらしい「不安の種」を拾って帰ってきます。拾うというのはもしかすると違うかもしれません。いわゆる「くっつき虫」のように本人がはっきりと自覚しないままに持ち帰ってくるものも多いからです。

そうして帰ってきた子ども達にむけて、さらなる不安の種を振りかけてはいないでしょうか。子どもの将来に対する「あなた自身の不安」から逃れるために、子どもを不安にさせてしまってはいないでしょうか。

少なくとも我々の銀河には、100%のジェダイもいなければ100%のシスも存在しません。それと同じく「不安による管理」を完全にすてることは難しいでしょう。しかし、それを行うとき、すくなくとも親はそのことを自覚していなければならないと思うのです。

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