小人閑居して「善」をなす?

小人(しょうじん)じゃなくて「こども」です。
ちょっとダジャレてみたかったのです。すいません。

こんにちは、まなゲーらんど 池田です。

極端な話をしましょう。
実行してしまうと逮捕間違いなしですからあくまで例え話として、

子どもをカラッポの密室にいれて、外に出さず、食事とトイレ、睡眠の世話以外に何も与えず、
その密室に教科書とノートと鉛筆と消しゴムをいれておくと・・・そりゃ間違いなく勉強しますよね?少なくともそのうち。

手に入る唯一の「ひまつぶし」なんですから!!

その密室に、少しずつ足していきましょうか。

お母さん、お父さんが中に入って暮らします。
全員でいっしょに勉強してもいいんですが(笑)、大人には「本」を差し上げましょう。とりあえず活字限定で。

両親との会話や手遊び、相撲などが、勉強に「競合」する「娯楽」として加わりました。
大人が読んでいる本を頑張って読む、読んでもらう、というのも加わるかもしれません。

さぁ次は何をいれましょう?その次は?その後は?

(追記:人によっては「親」が入った時点でアウトな気もしてきましたので、カラッポから自由に想像してください(笑))

どこまで「そりゃ勉強するでしょ!」を(必要な程度に)保てるでしょう。
何が入ると勉強と競合するでしょう。競合としての強さはどうでしょう。
単純にモノ環境だけ(有る=みんな使える)で考えてみましょう。

っと、何が一番邪魔かを決めるのが目的ではありません。
何にもなかったら「そりゃ勉強するよね?」というところに戻って考え直してみること自体が肝心なんじゃないかなと。

仮にお子さんが勉強ぎらいだとして、それはどの程度「勉強のせい」で、どの程度「本人のせい」で、どの程度「競合のせい」なのでしょう。例えばレゴなどの「ブロック」と「勉強」が競合した場合、どの位の確率でどちらが勝利するでしょう。その予測の根拠はなんでしょう。「コロコロコミック」ではどうでしょう(僕は少年期毎月この発売日を心から待ち望んでいました。読み終わると次まで1ヶ月と思って絶望的な気分になるほどに(笑)なぜなら僕が入手できるコミックが原則として月に1冊これだけと決められていたからです。)。などと色々較べてみましょう。

そして、「これ以上はモノを置けない」となったら現実と較べてみましょう。その現実の環境でお子さんが勉強するのがどの程度の難度のクエストか、多少実感が沸くのではないでしょうか。

「勉強」に絞らなくても、読書でも工作でも、妄想だって構いませんが、
一般的に望ましいと思われる行動を子どもにとってほしい時は「暇させておくこと」が肝心なように思います。

「暇つぶしとしての優秀さ」がモノの「危険度」を計る上で重要な指標となり、
「つぶさないで暇しておけばいいやん」という態度が強力な武器となりえるのであります。

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