モラトリアムこそが人をヒトにしたのかもしれない

学力や性質などが、どこまで遺伝によって決まってしまうのか、というのは教育に関わるものとして非常に気になるテーマです。

一方で生物学の世界では、遺伝子による説明が難しい部分についての研究も進んできていて、エピジェネティック(遺伝子外)と呼ばれる分野が確立されてきているようです。

その研究成果の一つに、とても興味を惹かれたので紹介したいと思います。

人とチンパンジーが遺伝子的にはほとんど変わらない(2%ほど)という話は、以前からよく知られています。では、最近いろんなところで活用されまくっている遺伝子組み換えの技術を使って、その2%の部分を同じにしてしまったとしたら、チンパンジーは人間になるのか?というとそうはならないようで、そのあたりが遺伝子「外」の問題らしいのですが、現在注目されているのは、どの遺伝子が、いつ頃、どのくらい、活性化されるのかの違いで、コツコツ試料を集めて、我々とチンパンジーの脳で、どのように遺伝子の活性状況が異なるのかを調べていくと、大人への成長を促す部分の活性化が起こるのが、チンパンジーと比べてとてもゆっくりだということがわかってきているようです。

遺伝子的にほとんど同じ、ほとんどを「全く」にしたとしても、チンパンジーは人にはならない、とすれば、この違いこそが、人を人にしたのかもしれないということです。

もちろん、研究はまだまだ途上にあるものでしょうし、このことから直ちに日々の子育てや家庭教育をどうの、というのは性急にすぎるでしょうが、子どもたちが急いで大人にならなければならないような環境圧をかけることは、知的な成長を妨げる可能性があるかもしれない、というぐらいを頭のどこか、時々思い出せるぐらいの場所に、改めて置いておくのは悪いことではないように思います。

私たち親は、つい子どもが早めに成長することに安堵を覚え、それを期待し、ゆっくりだったり、停滞や逆行が起こると不安や落胆を感じてしまったりするわけですが、それにグッと堪えて、寄り道や回り道を見守ることこそが、長期的な成長や到達点の高さへとつながるのかもしれません。そう思うと「うちの子ったら・・・」という気持ちも、ちょっと楽になるかも、しれませんね。

連休中あちこち行って色々やったが娘には虫捕りが一番だった件

ちょうちょ捕り

【ちょうちょ捕り】
実家から徒歩1分の農道わきに、子どもを解き放っておくだけで、お金も時間もかからず、子どもも大満足、虫の扱いなどを教えてやると嫁さんにまで感心される素敵イベント。連休中色々やったけどコレが一番楽しかったみたい。虫捕り網を抱えて走っていく姿が、小銃を抱えて突撃する兵隊のようで、実像と連想のギャップにより平和さを感じて面白い。

養老孟司さんが「虫捕る子どもだけが生き残る」を著しておられるが、実際虫捕りは心身ともにフル活動で鍛えられるなぁ、と見ていて思った。おまけに「生命」を直接扱わせられる機会でもある。手に着くリンプンや、すぐに欠けてしまうアゲハの羽、いかにも脆いモンシロチョウのからだ等からもムスメの「手」が色々学んでくれただろう。子どもと遊んでいてもすぐ『いま彼女のなかで何が起こっているだろう』などと想像してしまうのは僕の悪い癖だが、子育ての楽しみと思う。

「もっと大切にあつかってやれ」と偉そうに声をかけるオヤジの子ども時代は、毎日が虐殺の日々だったといっても良い。一体どの口がいうのかと失笑してしまうが、過失的に、あるいは意図的に生き物を損なう経験から取り返しのつかない「一線」を感じ取ることも必要だ。

この夏はぜひ釣りをさせて、小魚をさばく所を体験させたい。

「僕はお金を使わずに生きることにした」読了

貨幣経済に対する根本的な問い直し。面白かったー。

これを読んで以降、意識してるつもりはないのだけど、あちこちで貨幣経済に関する問い直しの話題が目に付きます。無意識的に探しているのか、増えているのか、どちらなのでしょうね。何か行動を起こすかどうかはともかくとしても、あまりにも自明のものと見なしてしまっている貨幣経済について、本質を考え直してみる事は絶対に必要だと思いました。良い悪いでなく、「何なのか」ということです。

「象のババール」ってこんな話だったんだ・・・

娘(もうすぐ3歳)がいるので、毎日絵本を読み聞かせするのですが、家にある分だけですでに200冊を超えました。図書館で借りたのや、出先で読んでやったのを含むともっともっと増えると思うのですが、先日はじめて「これはアカン」と、途中で読み聞かせをやめてしまった絵本がありました。

それが「象のババール」だったのです。

キャラクターは以前から知っていて、勝手に内容を想像していたのですが、呼んでみてびっくり。あまりに露骨すぎる帝国主義のプロパガンダ本でした。

密猟者に母親を殺されたババールが、逃げ惑ううちに街へたどり着き、第一声が「にんげんって ふくをきて すてきだなあ ぼくもひとつ あんなのを きてみたいもんだ」。この時点で?が頭を飛び回ります(その、街から来たヤツにお母さん殺されちゃったんだよ?ババール)が、さらに、金持ちのばあさんに拾われてババールは贅沢三昧、西欧式の教育も受けて、すっかり「文明社会」になじんだババールが、自動車にのって象の村に凱旋、どくきのこを食べて死んでしまった王様(こっちの王様は裸、他の象たちも裸)の後をついで(別にババールは王子ではありません)、王座に着きました。盛大なパーティ。めでたしめでたし。って、なんじゃそれ。

不可解も荒唐無稽も風刺も歓迎ですが、これはちょっとないんじゃないでしょうか。ババール恐るべし。

「政治家の殺し方」読了

中田宏さん(前横浜市長)の「政治家の殺し方」を読みました。

行財政改革を断行した結果、多方面の恨みを買いスキャンダルまみれ(裁判になったものは後にすべて勝訴)にされた苦闘の日々がつづられています。

最後の方で出てくる「政治が嫌いだから政治家になった」だからギャップを感じたり(いまさら失望したり)しないという一説が印象的でした。そういう意味では「子供の時からずっと先生になりたくて」というタイプの先生が打たれ弱いのも頷けます。起点が「憤り」か「憧れ」かというのは起こすアクションに非常にに大きな違いを生みそうです。

「憧れ」発、「失望」「憤り」「再評価」経由、「発奮」行き・・・と行ければ良いのでしょうが、難しいかな。

「情報の呼吸法」読了

津田大介さんの「情報の呼吸法」を読みました。

ソーシャルメディアで情報を発信することで、個人でも大きなムーブメントを起こせるというお話がメイン。昨今、子供でもソーシャルメディアを使ってますが、ノウハウ以前に、そうなんだよ、ってことをなるだけ早い年齢で知る事ができると良いな。

「今週の一冊」でこの本を紹介しました。